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観戦  
2002/2003シーズン  応援

中四国九州フィギュアスケート選手権大会

今回もパピオへ行ってしまった。しかし今回は「いいかもね、博多」切符を使用。
9月の連休にも博多経由で五島列島へ行ったので、この秋2度目の博多となった。

長い前振り。

博多案内人からのメールで、5日の最高気温が29度の予定であることを知る。コートを持っていく予定にしていたのを、急遽親父ジャケットのお下がりを持っていくことに変更。いや、ただ単にコート用に大きいバッグを提げて持ち歩くのがめんどくさかっただけの話。
何を着て行こう、何を持っていこうと夜中に1時間ほどとっかえひっかえしていた。
寝たのは結局4時を過ぎていたので、寝坊してしまい、予定より30分ほど遅く7時前に起床。
とりあえず前夜に作っておいたご飯と味噌汁をかきこみ、父にグランヴィアの南まで送っていってもらったのが、7:30ごろ。
みどりの窓口で「いいかもね、博多」切符を買ったが、この時間帯にはひかりは、ない。のぞみを見送り、8時過ぎまでのんびりとホームで待ち、やって来たレールスターに乗り込む。あとは爆睡。
速度を落とし始めた新幹線内よりパピオを視認。博多駅到着。とりあえずローカル線で一駅戻った吉塚駅に行き、そこで案内人に到着した連絡を入れ、てくてくとパピオへ向けて歩く。暑い。ジャケットは最初から着ていないけれど、汗をかくほど暑い。
パピオ到着。
パピオよ、私は戻ってきた。一年ぶりに戻ってきた!!
入場料は通しでまたまた2000円。プログラムは1000円。地区大会の割りに相変わらず高いね(^^ゞ
リンクも相変わらず冷えていた。せいいちさんが今回もいらっしゃるのを確認。とりあえずジャッジ真正面の席に適当に座った。
リンクではたしかジュニア女子の公式練習中。
ぼ〜っと見ていると、どんどん体が冷えてくる。案内人が到着のころを見計らって、外のチケット売り場で待つことにした。
やってきた案内人、プログラムまで買っていた。「見せてあげるのに!」と言うと、実は去年買わなくて後悔してたとのこと。
午前中の公式練習を見届け、製氷&開会式になったために、お昼を食べに外へ。何たる気温差!暑い!
テクテクと吉塚駅の方へ行き、パピヨンという屋外型ショッピングモールのようなところへ。ケンタッキーで飲み物と食料を仕入れ、近くのベンチで食事。日に焼けるよ(^^ゞ
パンとかドラゴンツイスターとか食べた後は、パピヨンの書店やトイザらスなどをふらつきながらパピオへ戻る。
そしていよいよ、競技開始。
以下、Shark島さまに送ったメールを編集したもの。

中四国九州大会のうち、シニア男女、ジュニア男女のSPとフリーを見てきました。
夜や朝に行われたノービスは、残念ながら…。
得点を見てもらえばお分かりのとおり、どのカテゴリも総じてあまり良いスケートではありませんでした。
ですが、シーズン始めですし。ということにしておきましょう。

シニア男子
高橋大輔選手。確かに他の選手に比べて振り付けもスピードも格段に違うのです。
中庭選手がフリーを棄権したため「優勝して当たり前」の試合でした。
それにしては高橋選手もジャンプがあまり決まらず、SPもフリーも2〜3度は回転抜けなどの失敗をしていました。

ジュニア男子
ほぼ南里選手と大上選手の優勝争いでした。
中庭(弟)は残念ながら、兄ほどの覇気は感じられませんでした。
南里王子(あえて王子と呼ばせてもらいます!!)は、JGPシリーズに出場できるようになったからなのか、それともJGPアメリカに出て自信を持ったのか、去年よりもジャンプが高くなっていたように感じます。
衣装と顔立ちのせいもあって、まさに王子。そのジャンプの高さには目を瞠ります。
ただ、手の動きがあまり芳しくなく、そこら辺りを徹底的に改善すると、全日本ジュニアでも確実に表彰台に上れるかもしれません(と素人目に映りました)。
大上選手も衣装は貴公子系でした。
彼を初めて見たときも長野オリンピックのクーリックのエキシビの「愛の夢」とほぼ同じ衣装だったような気がします。
昨シーズンは怪我のために国体と全中より前の試合には出ていませんでしたが、しばらく見ないうちに背がすごく伸び、体格も前よりたくましくなっていました。
ジャンプの高さも南里王子と同じぐらい高く、しっかりしています。
大上選手も高橋選手と一緒にこの夏はカナダでトレーニングしていたのですが、その成果が現れているように見えます。
JGP北京でも、山陽新聞によると初の国際大会ながら好成績を残しましたし。
西日本大会、全日本ジュニアが楽しみです。
ちなみに、高橋選手は中四国九州大会ではいつも南里君に負けていました。
それをなんとか負かしたのは、高橋選手の後輩の大上選手となりました。
中四国大会のジンクス、南里君がシニアに上がってからどうなるか、楽しみです。

ジュニア女子
どう見ても平井絵己選手の独壇場でした。
地元の兼石選手と熊本の越牟田選手も良かったようなのですが、ちょうど二人が滑っている辺りで居眠りしていたような気がします(^^ゞ あまりにもパピオが寒くて…m(__)m
ただ、平井選手も西日本、全日本へと進むと、いまいち光るものが感じられない気がします。
中部や近畿ブロックに強豪が多数ひしめいている中では、彼女のスケートは平凡なものに見えてしまうかもしれません。

シニア女子
寒さで半分眠っていたため、あまり印象になかったような。
一応表彰式での日本スケ連の方の講評では、優勝した浜村選手はフリーではノーミスだったとか。
南里王子の姉君、南里美紗総領姫(長女ではないかもしれませんが)選手の不調による転倒の連続が惜しかった…ということぐらいしか頭に残ってません(^^ゞ

<余談その1◆鳥と戯れる少年>
シニア男子のSPだったと思うのですが、ノービスの男の子かまたは選手の身内の小学校低学年ぐらいの男の子が、ジャッジの反対側(観客席が多数あるほう)のリンクサイド中央にて、演技の音楽に乗って、手に持った鳥のぬいぐるみを激しく動かしていました。
まるで鳥自身が激しくスケートしてるような感じで。
途中で係員に止められましたが、観客席から見ていて、どうしてもその男の子に目が行ってしまうのです。
その影響が1番滑走の須嵜選手と2番滑走の高橋選手にあったかもしれません。

<余談その2◆誰が大輔君?>
4月のOHK杯の時に、写真を撮ったり話をしたりしたのですが、それ以降はカナダの方が開設した大輔君の応援ページに載っていた写真ぐらいでしか、夏ごろの大輔君を見たことはありませんでした。
シニア男子SPの練習滑走で、4人滑っているうち、誰が大輔君なのか分からなかったのです(^^ゞ
記憶にある身長でいくとあの選手…でもなんとなく太い。
パンフレットにある写真と、衣装を着て練習滑走している4人の顔を見比べて、一緒に見ていた案内人と、「あの顔のやや細めなのが中庭君、あの人は須嵜くん? あの人は岸田君…? で、あの一人小ちゃいのが大輔君???」と見ていました。
1番滑走の須嵜君は、岸田君だと思っていた人。
2番滑走の大輔君は、実は須嵜君だと思っていた人。
3番滑走の中庭君は、正解。
4番滑走の岸田君が、練習滑走の時は大輔君だと信じていた人。
いや〜、高校男子はちょっと見ないうちに背が伸び顔付きが変わりますね〜。
もしかして大輔君は半年前からそれほど背が伸びていないのかもしれませんが、衣装や髪の色などや雰囲気から、氷の上では背が高く見えました。
パンフレットには164cmとありましたが、もう少し伸びているかもしれません。

<余談その3◆倉敷翠松3V>
…というわけで、シニア男子、ジュニア男女で優勝したのは、倉敷翠松高校の3人でした。
しかし、彼らの次にくる倉敷勢、岡山勢が順調に育っているとは言い切れないのが、少々さびしいところです。

<余談その4◆せいいちさん>
どの係員よりもせいいちさんが一番長くパピオにいたかもしれません。
いつの間にか福生映像サービスのカメラマンも兼業するようになったらしく、ノービスの子達から演技を何枚も撮っていたようです。
もちろん得点もパソコンに入れて集計していました。
集計結果が出るのをじっと待ってるジュニアの女の子が何人もせいいちさんを取り囲んでいました。
コーチの方々も集計結果を待ち構えていて、岡崎のマコちゃんもしょっちゅう来ていました(^^ゞ
ただ、ジュニア男子フリーの途中でカメラの調子が悪くなり、そこからあとの選手たちの写真は撮っていないようです。

==観戦後==
表彰式も見届け、晩ご飯を食べてから最終ぐらいの新幹線で帰ることにした亜鈴は、案内人と一応観客席から出た。
理事長さんたちに挨拶をしようかと思っていたが、いつの間にか姿がなくなっていたしで、エスカレーターを降りようとした。
しかし何か物足りない。
去年はロッカールームを通っていたのでやたらと挨拶できていたのだが、今回は見かけてないよ、大輔君を。
亜鈴だけまた観客席へ掛け戻ると、リンクサイドで大上君と平井さんと大輔君が、なにやら記念撮影をしていた。
翠松高校の先生方だろうか。
その撮影が終わった後、か細い声で「大輔く〜ん」(または「大ちゃ〜ん」)と呼び、やっと気づいてもらえた。
俯瞰になったがいつもの「写るんです」で撮影。
そういえばこのときのフリーの衣装は今は幻の私服なのかな〜?スターウォーズにも結構合ってると思うんだけど〜?
「今日はお一人なんですか?」「…(ギク)…、きょ、去年のあの子と来たわよ〜」
昨シーズンはたいてい大輔君の知り合いのお姉さんと応援観戦してたのでそのことを指してたのか、それとも去年の中四国九州大会は博多案内人と来ていたのに今一人でいることを指しているのか(^^ゞ ちょっと心臓に悪いです(^^ゞ
「ドイツ大会、頑張ってね〜☆」「(^^)はい」
その後、亜鈴と博多案内人は博多駅へ移動し、「いいかもね、博多」のクーポンを使って駅にある喫茶で、乗るべき新幹線を待ったのでした。
「西日本大会も博多であるみたいだけど、大輔君はたぶんエントリーしないだろうって言われてるから、寂しいけど行かないよ」と少々sighしながら案内人に言ったのだが、結局出場することとなっていた。同じボフロスト大会に出場する恩田選手も西日本大会にエントリーしていた。
エントリーを知ったのが直前だったのと行楽シーズンのためホテルもあいておらず、また案内人も忙しかったらしく観戦に行けなさそうだったので、亜鈴も観戦を諦めた。ま、宿も最終手段として博多案内人宅があったのだが。

サンピア倉敷新春EX
2003年1月4日

小雪の舞う中、サンピアへ。ふぅさん、よっし〜さんと合流。
EXプログラムを期待していたが、例のごとくSPだった。
出待ちで応援幕にサインと写真、謎の入り待ちで大上君との2ショットを撮る。

四大陸選手権
2003年2月12〜16日

2月11日

自宅→(父の車)→岡山空港→(全日空)→羽田空港→(リムジンバス)→成田空港→(全日空)→北京首都空港。
家の車が使えれば空港まで自分で行くのだが、相変わらず兄が家の車を乗り回すので、父に送ってもらった。
帰りはリムジンバスやタクシーを使わなければならなくなるのが、実に悔しい。
あちこちに書いているが、時間と手間は多少かかるが、「関空発着」よりは、「成田発着」のほうが便数が多いし安いし、羽田から成田へもNEXのようにまったくの密閉空間が持続しない手段よりは、リムジンバスのように目的地が全員一緒の方が安心して乗っていられるので、お金は多少かかっても「成田発着」「リムジンバス」を今回は選んだ。
羽田空港から成田空港へは、埼玉の友人が荷物持ちと称してついてきてくれたが…(^^ゞ
成田空港では、それまで買いそびれていた基礎化粧品のトラベルキットと、お菓子、腕時計などを購入。
チェックインし、出国審査の後かな?そこで北京空港で待ち合わせの約束をさせていただいているkan.さんに電話を入れる。免税品店をブラブラと見ながら搭乗口のほうへ少しずつ進んでいく。
かなり辺鄙な場所に、搭乗待合室はあった。時間を持て余してしまい、kojikojiさんと博多案内人に電話した。


最終更新◆ 2004年03月01日 1:16