ソルトレイクへの道・たられば物語
最近になって、インタビューなどで大輔君がソルトレイク五輪出場選手の候補になっていたらしいことが明らかになっているようだ。
2001年秋から全日本にかけて、亜鈴ははたで見ていてまざまざとそれを感じさせられていた。
もし実現していたら、「15歳のオリンピック選手」として、話題をかっさらっていただろう。
女子選手では「15歳」「高校生」のカテゴリに属する選手は多少いたかも知れないが、男子選手ではスノーボードの村上大輔選手ぐらいだと思うし、村上選手は当時高校3年生だった。
奇しくも、高橋大斗(たかはしだいと ノルディック複合 当時21歳)、山田大起(やまだひろき ジャンプ 当時19歳)、村上大輔(むらかみだいすけ スノーボード 当時18歳)といった若手で名前もよく似ている選手が代表になっていたが、大輔君もその一人になる可能性もあったのである。
彼らの名前がオリンピック中継の放送で呼ばれるたび、新聞に書かれるたび、亜鈴は「あぁ…あの場に大輔君がいればなぁ…」と溜息をつくのであった。
「あの全日本で表彰台に上っていれば、大輔君がオリンピック代表に選ばれて、そしてソルトレイクで滑っていただろうに…」と。
大輔君の2001-2002シーズンのSP「West Side Story」も、フリーの「ヴァイオリン協奏曲」も、彼の持ち味を十二分に引き出す名プログラムだと思う。
彼本来の伸びるスケーティングを生かし、丁寧に滑れば、たとえ四回転ジャンプを入れてなくても好成績を納めることが出来ただろう。
それだけに、全日本での不調が本当に惜しい。
亜鈴の自己満足なのかもしれないが、「Shy Boy Dai」を世界中のみんなに見てほしかった。
トリノオリンピックの時には、大輔君は19歳、大学2年生である。
それでも十分話題性はあるが、やや董(とう)が立ちはじめるころである。
今でも外国の男子シングルのオリンピック選手の中には高校生程度の年齢の選手もいる。
また、ベルギーのケビン・ファンデルペレンは、2001-2002シーズンはジュニアとシニアの大会を掛け持ちし、オリンピックに出場したかと思えば、世界ジュニアに出場し、さらに世界選手権にも出場という超ハードスケジュールだったりした。
彼らと張り合ってどうするのだと言われても返す言葉はないが、新鮮なうちに鮮烈にシニアデビューしてほしかった、今日この頃である。
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