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観戦雑記 =応援幕を作るまで= その3

 ◆ 2002/2003シーズン ◆ 

♪予定外のシニアデビュー

てっきり2002/2003シーズンもジュニアだろうと思っていたら、
夏ごろ発表のISUのアサインメントにて、シニアのグランプリシリーズの
ドイツ大会とNHK杯にエントリーしていることが判明。
とりあえず慌ててみるが、何の用意もしていない。
さらにはカナダの方にサイトの先を越される。

中四国九州大会

シーズン初めはやはり中四国九州大会なのだろうか。
やはり「真夏」の博多だった。

京都アクアリーナ
こけらおとし
実際に見に行かれた方によると、中四国大会よりはよく出来たらしい。
西日本大会

出場免除だったらしいが、結局出ることになった。
しかし出場情報を知ったのが直前だったために宿が確保できず、観戦は断念。

応援幕を作ろうと、夏ごろから友人知人たちにキャッチコピーを考えてもらっていた。
しかし、なかなかいいコピーがない。
さらには、10月下旬頃に「今年は静かに応援してほしい」とF氏より通達がくる。
泣く泣く応援幕製作断念。
ならば以前から少しずつ製作していた応援Webを立ち上げようと考える。
独自ドメインを取ることも考えたが、自前のPCとプロバイダを用意する方が先と考え、レンタルにする。
とりあえずこのNETAGE社のprinceにする。アカウントは自分のHNよりaleksei

ドイツ大会 シニアグランプリ大会初出場。
アサインメント発表の夏ごろはこのドイツ大会に行くつもりでいた。
しかし、「ウルマノフファン」としては欠かすことのできないイベントがドイツ大会の一週間後にあることを知る。
11月14日、高橋大輔応援ページ<DTD Daisuki Takahashi Daisuke>をUPし始める
キャンデローロ
ファンタジー・オン・アイス
ウルマノフ誕生日公演を知り、ドイツ大会よりこちらを優先させることにした。
結局この公演にも大輔君は出演したのだが。
応援幕OKの連絡がF氏よりあり、急遽製作することに。
結局まったく無難な
「Jump!高橋大輔」となる。
近所の旗・幕製作会社に無理を聞いてもらって1週間で仕上げてもらった。
ちなみに、布に印刷ではなく薄手のテント地。
NHK杯 応援幕、デビュー☆ 幕を作ってくれた会社の人、見てくれたかな〜?
幕を貼ったところの席が、ちょうど倉敷FSCの皆さんの席だったのも、すごい偶然。
全日本選手権 応援幕にライバル出現!
倉敷FSCが80cm×4mぐらいの赤・緑・黒の3色刷り「GO! Daisuke!」を2日目に貼った! 校長と倉敷FSC所属選手の保護者がコーチ・選手席前に貼っているところを対岸から見ていた。
さらに後日、放送を見て気付いたのだが、やはり80cm×4mぐらいで、白地に黒の手書き風文字で「高橋大輔」幕を発見。
新春早々応援幕を携えサンピア倉敷へ。
サンピア倉敷EX なんとなく応援幕を持って行った。同行していたふぅさんにペンを借り、帰ろうとしていた大輔君を呼び止め「恥ずかしい」と言わせながら「J」のところにサインを入れてもらう。
四大陸選手権

世界選手権への出場権をかけたアジア大会と四大陸選手権のうち、どちらかをこの目で見届けたかった。
アジア大会は青森。岡山から行くには、東京へ行ってさらに青森に行くという不便さ。羽田=青森便には何となく特割などがない雰囲気だった。いったいいくらお金がかかるのか見当もつかなかったし、男子SPの葉書予約受付はすでに締め切られていたので断念。
四大陸選手権は北京。関空か成田からは毎日出ているし、成田からお気に入りの全日空で毎日出てる。こちらなら何となく値段の見当もつくし、もうすぐパスポートの期限も切れそうなので最後に…。
というわけで、四大陸選手権にした。もちろん幕を持って。
梱包用テープも2ロール用意して行ったけれど、手摺にロープで貼ってしまった。
現地で初めてお会いした日本人観戦客の皆様や現地人のおばちゃまに手伝っていただく。
しかし。演技中にジャンプする時にもしかしたら目に入るところにあったのか、ちょっと跳びにくそうな表情が見えた。
そして亜鈴は決意したのだった。次はアルファベット表記にすると。
それも出来ればカリグラフィーでいうカッパープレートとか、ゴシックとかで♪

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最終更新◆ 2003年02月23日 21:16