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観戦  2003/2004シーズン  応援

世界選手権
2004年3月22〜28日

準備

とりあえずチケットは買いそびれていた。
四大陸選手権のころからネットでチケット放出を待つ。
それとともに航空券やホテルを個人であたり始めるが、埒が明かないので会社に出入りしている人の紹介で、小さな代理店に個人手配をしてもらう。
飛行機とチケットは無事確保できる。
ホテルを探していた当時はドルトムントでの空き室がまだ出ていなく、隣の隣の街のエッセンに取ってもらった。
会社には一年以上前から「10日間ほど休むと思う」旨伝えてあったが、家には出発する4日前にデジカメを借りるために初めて告白。
バッテリー用のアダプタ、PC用のクッションなどを買いに行ったのが出発の前日・金曜日。
しかし家から岡山空港に行く手段(友人に送ってもらう)の確保や、成田前泊のついでのオフ会など、そちらは入念に予定を立てていた。

ルートとホテル

3月20日午前ANA654便で岡山→羽田→リムジンバス→成田→ホテル
3月21日午前ルフトハンザLH711便で成田→フランクフルト
3月21日午後ルフトハンザLH808便でフランクフルト→デュッセルドルフ
3月21日夕方DBのREでデュッセルドルフ→エッセン(メーヴェンピック泊)
 …
3月28日夜エッセン→RE→デュッセルドルフ(アラベラシェラトン泊)
3月29日朝ルフトハンザLH803便でデュッセルドルフ→フランクフルト
3月29日午後ルフトハンザLH710便でフランクフルト→成田
3月30日朝成田→リムジンバス→羽田→NH979便→岡山

3月20日 オフ会
22日の男子予選に間に合うように日程を組んだので、21日午前便搭乗となってしまった。もちろん21日に自宅を出ていては間に合わないので、死語となりつつある「成田前泊」することになる。
友人二人に朝迎えにきてもらい、岡山空港へ送ってもらう。どうも手荷物が多そうなのでノーパソを持って帰ってもらうことにする。羽田からはお気に入りのリムジンバスで成田へ。
岡山→羽田の設定が成田乗り継ぎ扱いの24時間ぎりぎりなので、午後には成田の日航系ホテルに到着。荷物を預けるだけのつもりがチェックインできるそうなので部屋まで行ってマリクワ・ユニオンジャック・スペシャルに着替える。
オフ会は松戸駅近くのダイニングバーで。ホテルからは、まず警備の厳重な成田空港へホテルバスで行き、成田空港からJRで成田・我孫子を経由して松戸へ。成田空港(第二ターミナル?)駅で一列車見送ってしまい、そのまま成田→我孫子も遅れ、松戸駅到着が予定より1時間以上遅れて17時を過ぎてしまう。成田駅で連絡を入れておいたので、友人たちは一足先に会場があるビル内で遊んでいた。
まだディナーの時間ではなかったが、とりあえず座っておこうということでさっさとダイニングバーへ。亜鈴は2度目だが、友人たちにとっては初めてのお店。思いもがけず、梅干と耳栓とトートバッグ(ハンズで進呈)をいただく。DOIの案内をFAXで送ってもらったものを友人その一に見せると、「行きたいです」。
まずはオリジナルカクテルで乾杯、1グラス空けているうちにディナータイムとなったので、ディナー「○○○の食卓」を注文。
あの値段であの量は…多いと思う。前菜、パスタ、魚料理、肉料理、デザート、コーヒー。最低これだけはあった。肉料理を食べるころにはかなり満腹だったので、友人その三にあげてしまうほど。
20時には店を出て、亜鈴は来た道をたどってホテルへ戻ることになる。友人その三は神奈川方面へ。友人その一は千葉方面へ私鉄を使って帰るつもりだったようだが、路線図を並んで見ているとJRでも帰れることが分かり、新松戸まで一緒に行き、バイバイ。21時過ぎには帰宅していたようだが、そのまま我孫子を経由して成田駅まで来ればよかったのに。どうせ悪天候でダイヤが乱れていたのだし、成田駅ではかなりの遅延が出ていて千葉行きの電車は20分ほど遅れていたから、20日中には戻れたはずなんだし。
成田空港に22時過ぎに着いたと思うが、ホテルバスが来るまでにはかなり時間があった。外で待つのは寒いので、駐車場との連絡橋や到着ロビーの上の方で待つ。夜の到着ロビーは、子供たちの遊び場と化していた。
ホテルに着いたのは23時前だった。和久井さんに電話し、友人その一の分と合わせて3枚を電話予約してもらうことにした。友人その一にも電話する。出発前に声を聞きたかったのです。そして今回の観戦旅行で同行するYさんに電話。21日朝に国内線を乗り継いで来るYさんとの待ち合わせ場所を確認。
ホテルにも有料のネットはあったが、めんどくさかったので部屋へ。入浴して、荷物を預け用と機内持ち込み用とに分ける。年賀状の切手シート当選葉書に御仁宛ての手紙と、和久井さんへのチケット手配依頼の手紙をしたためる。

3月21日 窓際が好き

ホテルのバイキングで軽く朝食。昨晩のディナーがまだ残っているのかあまりほしくない。
最後の荷物詰めを行い、チェックアウトし、ホテル前の郵便ポストに御仁宛の葉書と和久井さんあての封書を投函。
やってきたホテルバスに乗るが亜鈴が泊まったホテルですでにほぼ満席。この後もう一つの系列ホテルに寄っても通路立ちや積み残しが発生。超満員のホテルバスは成田空港へ。
ゲートでのパスポートチェックのため、通路のお客さんは下ろされる。着座客もパスポートなどを提示。かなりの時間ロス。
第二ターミナルで降り、ルフトハンザのカウンターを目指して、ターミナルの端から端まで移動する。
荷物のX線検査を経てチェックイン。国内線から乗り継ぎのYさんの隣席を指定したが、ここでもし指定しなければ、亜鈴の席はいったいどこになったのか、知りたいところである。(詳しくは29日の項参照)
昨日より目が痛く、また微妙に熱っぽかったので、売店で目薬と風邪薬を買う。
東京三菱銀行で日本円を100ユーロ分に両替してもらう。これで合計300ユーロ分を日本で調達したことになる。不経済だ。…あれってこっちで日本円とユーロを両方とも書かなくても、ほしいユーロ金額だけどか、替えてほしい日本円金額とかだけを書いていいんだよね? 為替レートを見ながら両方の金額を計算して記入している人が意外と多くて驚いた。
出国審査の列に並び、免税店を冷やかしながら搭乗口へ。
たどり着いた搭乗口は、昨年四大陸選手権に行くために乗った搭乗口の隣だった。
そこで小一時間ほど、乗り継ぎのYさんを待つ。周囲はゲルマンなお客さんがかなりいる。
やがて搭乗開始予定時刻の10分ほど前になってYさん到着。意外とスムーズに来れた模様。
そこの売店でお茶のペットボトルを買う。まあ、機内サービスはあるだろうが、わざわざ乗務員を呼ぶのも面倒だし。
駐機スポットまでは例のごとく、リムジンバスでの移動。まずは優先搭乗の皆様からで、エコノミーの我々はのんびりとバスへ。
たくさんの飛行機を眺めながら、ルフトハンザへ。

席は機体のかなり後部だった。窓際は見知らぬ中年の男性、真ん中に亜鈴、通路側がYさんだった。ほぼ満席状態だったのでしょうがない。
機内食のとき、「チキン、プリーズ♪」をしたが、すでに売り切れており、CMと同じように「フィッシュオンリー」だった。。。隣の男性はやたらとドイツビールをお代わりしており、それにつられて亜鈴とYさんも赤ワインをいただく。
デザートも平らげ、就寝。いい気持ちで眠っていたのだが、不意に貧血を覚える。過呼吸のように呼吸が荒く大きくなる。ヘルシンキからの帰国便でも体調を崩した前歴があるので、亜鈴の異変に気付いたYさんがかなり気にかけてくれるが、こういうときは頭と心臓、足先の高低差をなるべく少なくするに限る。座席から脱出し、ギャレーでガス入りのミネラルウォーターをもらい、懐かしの機体最後部に行って、ひんやりする床に座り込むのだった。
体調も回復し、席に戻って再び就寝。目覚めれば朝食!そしてヨーロッパ上空!
今度は無事に鶏料理が出たが、所詮エコノミーの機内食。奇妙な味わいだった。朝食でも隣の男性はドイツビールのみお代わり。
サンクトペテルブルク、ヘルシンキ上空を経て、フランクフルト空港へ。空からは集村の具合や都市の発達具合が見えて、なかなか楽しい。港内のタクシングは妙に早く、着陸の感動に浸っている間にかターミナルビルに到着していた。
窮屈な姿勢を取り続けていた後遺症でやや筋肉痛を覚え、ついでに気圧からの解放で四肢の先に痺れを感じる。とりあえず日本人の後について入国審査を受けた。試合でベルリンに行くという柔道選手たちと列で一緒になったが、中学生と大学生の彼らには、やはり機内食だけでは足らなかったらしい。
デュッセルドルフ行きが出るまではまだ数時間ある。
免税店は一通り巡って飽きたので、暇つぶしにいったん外へも出たが、再入場の際の手荷物検査で、Yさんがバッグに入れていた座布団状のカイロがX線に引っかかる。検査官に「これは何なのか、何でできているのか説明しろ」と言われたので、「ジャパニーズ・ウォーマー。アイアン」と答えると、「こんなウォーマーは見たことがない。今ここで封を開けてみせろ」と険悪な表情で詰め寄ってくる。「今ここで開けたら会場で使えないじゃーん」と困り顔で日本語で言ったのがいけなかったらしい。検査官は「ここで待っていろ」みたいなふうに袋を持って控え室へ大股で行く。手荷物検査のところに詰めている警備員or警察官も何事かと近寄ってくる。Yさんは「もうあれはいらないからさっさと行こう」と逃げ腰だったが、ここで立ち去ったらもっと危険だ。数分して、検査官は釈然としていない表情で戻ってきた。「OK。行って良い」と身振りをされたので、返された巨大なカイロをバッグに急いで詰めて、Yさんと亜鈴はやっと通過できた。
搭乗口前には、デュッセルドルフ行きに乗ると思われる人々がかなり集まっていたが、まだゲートはオープンしていない。ついでだからまた免税店に買い物に行ったが、十分後に戻ってきたときにはすでに搭乗が開始されていた。
デュッセルドルフ行きは、なぜかYさんとは席が離れていた。Yさんは機体後部のあたり、亜鈴はエコノミー前方。通路を進むと、窓際の席が一個だけ空いている所があり、そこが亜鈴の席だったが、なぜか隣はルフトハンザの制服を着た美青年。通路側はドイツ人の平均的青年。通路で緊張と嬉しさのあまり硬直して固まっている亜鈴に気付いた二人が「この席か?」と指差したので頷くと、二人とも席を立って座らせてくれたが…脚が長すぎるよ、デュッセルドルフに移動中の推定コパイ(副操縦士=コ・パイロット)。
一時間足らずのフライト中、隣のルフトハンザの推定コパイとドイツ人青年は、ずっと喋りっぱなしだった。今までフライトしたことのある都市などを話していた模様。途中でチョコレートをCAが配って歩いていたが、それを「Danke」と受け取り、食べやすい大きさに割って食べる推定コパイ。
デュッセルドルフ空港ではどのルートでいらっしゃったのか、日本人観戦客とほぼ同時に着いていた。もしかして成田から同じ便で? 
空港駅行きモノレールに乗り、空港駅では時刻表を見て乗り場を探して、来た列車に乗り、それが二階建て車両で、というか二階建てが当たり前の世界で、異文化に来たのだとまざまざと感じさせられる。
やっとの思いでたどり着いたエッセンの駅を出たところにあるロータリーのすぐ向こうが宿泊するメーヴェンピックホテルなのだが、デュッセルドルフに着いたときから降っていた雨が豪雨になっていて、とても地上を、あの重いスーツケースを転がしてたとえ数十メートルでも歩けたものではない。まあ、すぐそばに地下道があったのでそこを通ったのだが、地下道出口からホテル入り口までがまた距離がある(^^ゞ

ドイツ語はおろか、英語を話すのも面倒で億劫だったので、「ナハト(^.^)」と微笑みながら、バウチャーをフロントに見せる。ドイツ人美女はにこやかに端末のキーをたたき、カードに名前などを記入するように言った。部屋は4階。朝食は2階のレストランで朝7時から10時までビュッフェスタイル。滞在中に何か分からないことがあったらどんなことでも聞いてください…みたいなことを言われたのだと思う。
部屋は中庭に向いているが、まあまあ大きなツインだった。ベッドルームはだいたい3m×5mの不等辺四角形で、床から天井までの大きな窓が印象的。お風呂は…シャワーのみ?! 国内で手配してもらったときはバスタブ付だったはずだが。部屋を替えてもらうのも面倒だったので、亜鈴は特に異議は申し立てなかった。サニタリーとシャワールームは同じ部屋で、白いタイルと調度がまぶしい。
ベッドルームへの廊下部分にチェストとコートロッカーがあったので、亜鈴はスーツケースから日常着や洗面・化粧道具、圧縮袋に入れていたコートなどを収めていく。洗面台には歯ブラシ、歯磨きのチューブ、洗顔フォームなど、いずれもレギュラーサイズをあたかも我が家かのように置いていく。
片づけが一段落済んだところで亜鈴は探検と食料調達がてら駅方面へ行くことにした。なんとなくお腹一杯でお疲れ気味のYさんはそのまま部屋にとどまった。
雨はもう止んでいた。夜9時を過ぎたエッセン駅は…一人で右も左も分からないところを歩いていることもあってか、少々怖かった。反対側の出口にスーパーを見つけ、炭酸飲料を買おうとレジに並ぶが、レジの人がこれまた恐持てのお兄さん。そしてまだ開いていたパン屋で固めのパンを買い求める。

3月23日 出待ち

世界選手権ならずともたいていの競技会やショーに行くと出くわす「出待ち」。
野暮用があったのと、なんとなく時間があったので、プラクティスリンクでの練習を終えて上がってくるところを出待ちしてみた。
カメラやスケッチブックを大事そうに持ち、アルバムを見せ合いっこしている外国人少女が数名たむろっている中、日本人女性が一人やはり本を片手に佇んでいた。
会釈し、「どなたの出待ちですか?」と聞いてみる。
「誰というわけでもないんですが、安藤美姫さんに会えるといいなと思っていますが。まあ他の選手でもサインをもらおうと思って。ちょっと聞いてもいいですか? 本田武史選手は来ないんですか??」
年のころ、三十代後半に見える彼女の言葉は、亜鈴を驚かせた。
「彼は…足を怪我していて今回来れなかったようですけど、ご存じなかったのですか?」
「ええ。スケートは娘がしていて私はあまり興味がなくて」
「あら〜(^^ゞ」
「今日は娘がフラワーガールをするから付き添いできたのですけど、親は中に入れなくて、待ってる間、娘のためにサインをもらおうと思いまして」
「フラワーガール? こちらに駐在されてるんですか?」
「国際結婚です。ドルトムントじゃなくてデュッセルドルフのほうなんですけど」
「あらー!」
「交通費も自費で、今日は朝早くから車を飛ばしてきました」
どうやら、小学校低学年のお嬢さんがスケートをされているらしく、フラワーガールを何回かするらしい。そしてそのお嬢さんの名前の読みが「ミキ」なので、安藤選手を応援しているらしい。
「本田選手が来ないのは残念ですね〜。日本の男子選手は、人気あるんですか? 私はスケート選手の事情に疎くて」
「田村選手も、高橋選手もそれぞれ人気ありますよ。あ、練習終わって出てきたみたい」
外国人少女たちも日本男子と中国男子を取り囲み始めた。
田村君の足首には、包帯が巻かれ、微妙にびっこを引いている。
「彼らは日本人なのですか?」
「いいえ、こっちのグレーのコートは中国男子で、ちょっと長髪の彼はミン・チャン、漢字で張民で、もう一人はチェンジャン・リー、李成江って書く人です」
サインをもらいに行く彼女。サインするのは、お嬢さんのサイン帳で、クラスメイトたちのメッセージや写真も載っている。
そのうち外国人少女たちの攻勢が終わった日本男子がすぐ近くにまで追いついてきた。
「あ、大ちゃん!来ちゃったわ。キスクラの上のほうで応援幕を振ってるからね! ついでに写真撮らせて!」とカメラを向ける。
「彼のお知り合いなの?」
「知り合いというか、時々試合に行ってるんで顔見知りというか。サインもらいます?写真も撮りますよ!」
…というまでもなく、サインを収集している。
ミキちゃん、お母さんがいっぱい集めたそのサイン帳、大切にしてね。きっと近い将来、今よりも誇らしくずっと見ることができるようになります!

 

3月26日 視線の先

女子SPが終わり、ダンスフリーが始まる前、リンクに背中を向けて立って談笑などしながら軽く伸びなどしていた。
ふと観客席出入り口に人気を感じ、目をやると、前方を見つめている大輔君がいた。
「大ちゃ〜ん!どうしたの〜?」数メートル向こうの大輔君に声を掛ける。
「あっこんにちはっ。歌子先生、見ませんでした?」大輔君はまだ前方、向かい側の観客席のほうを、目を凝らして何か探しているようだった。
「ごめん、見てないけど、関係者席って、あっちか、その向こうのあたりじゃない? 昨日のフリーはとっても良かったよ!」
「ありがとうございますっ、探してみます」
立ち去ろうとした大輔君を、出入り口側の席の観戦客が呼び止めた。
亜鈴は一緒にバナーを振ってもらっていた周囲の外国人観戦客たちに「彼が私が応援しているDaisuke! Japanese boy!」と教えてあげる。
その後、大輔君は何処かへと去っていった。
彼が出入り口に現れたとき、視線が向いていた方向には、つい30分ほど前まで【Go! Daisuke】が架かっていた。
ごめんね、エキシビションが終わるまでずっと張っておけばよかった。
前日のフリープログラムでプレッシャーに押しつぶされそうになったとき彼を勇気付けたという【Go! Daisuke】を確かめに来たのか、それとも単なる偶然なのか、それは彼にしか分からないが。。。


それぞれ、以下続く。

最終更新◆ 2004年07月11日 20:07