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bbs5からの独り言。

bbs5」とは、
亜鈴久世が2000年秋頃から
とあるレンタル掲示板で 独り言している
掲示板サーバーの名称
  ググれば原文を
拾ってくることが出来るかもしれません

なんとなくこのDTDに
持ってきてみます
きっとイタいだろう、
過去の駄文です

2000年10月4日

フィギュアスケート
シーズンイン☆

とりあえず、そういうことで。
倉敷の大輔君を応援する人がSE誌の読者欄に載ってました。
自分と同じ考えをする人が他にもいたなんて(微笑/苦笑)。
そういうわけで、大輔君の今後から目が離せません!ね☆

2000年10月16日

ハルビンの大輔君。

大輔君が、ジュニアグランプリシリーズの中国・ハルビン大会にエントリーしていたとは! 今回は地元紙も自社記事(結果のみ)を載せていました。
う〜ん、いつも頼りにしているフィギュアスケート情報にはハルビン大会には総司君しかエントリーしていなくて、大輔君は次は11月のハーマル大会の予定だったのに。
だけど、えらいですよ〜☆ がんばってますよ〜☆ 大輔君。ジュニアグランプリシリーズには今季が初挑戦ですが、キエフ大会8位、ハルビン大会9位。できれば表彰台を狙ってほしいですが、こんなに大きい大会は今年が初めてだもんね♪

2000年11月4日

大阪の大輔君

11月3〜5日の日程で、大阪で第17回西日本フィギュアスケートジュニア選手権大会が開かれているのですが、大輔くん、ショートプログラムを終わって現在一位です。
西日本の各ブロックから予選を勝ち抜いた選手が若干名ずつ出場するのですが、大輔くんの場合は予選に出場していなかったけど、ジュニアの強化選手に指定されてジュニアグランプリシリーズにも派遣されているということでの出場みたいです。女子シングルもJGP派遣選手の子が現在一位だし。
出場予定だったノルウェーのJGPは選手変更で、替わりにハルピン大会に出場したしぃ。
この大阪の大会、もっと早くに気付いていれば観に行っていたかもしれません。いや〜、大輔くんを生で最後に見たのは一年も前の話だから(苦笑)。
それにしても山陽新聞、大輔くんの記事はどうなったの?

2000年11月5日

大阪の大輔君2

西日本フィギュアスケート選手権大会ジュニア男子に出場の大輔くん、フリーでは持ち崩してSP1位、FP3位で、最終結果では2位でした。次の試合目指して精進♪
SPで5位だった岡山国際の黒田くん(高校生)がFPで2位になって、最終3位だから、彼もやるね☆
さ、みんなガンバ☆

2000年11月26日

名古屋の大輔君

第69回全日本フィギュアスケートジュニア選手権大会が、名古屋のレインボーアイスアリーナで行われました。これは2001年世界ジュニア選手権大会最終選考会も兼ねていまして。この結果だと、総司君派遣がほぼ確定かな。
便宜上上位5名までしか載せていませんが、男子シングルには27名が出場しています。岸本くんは中学2年生。牛込くんは高校生。大輔くん(中学3年生)はまたまた高校生や大学生のお兄さんたちの中で滑ってこの成績なのです(微笑)。岸本くんもだけどね(笑)。
大輔くん、ショートプログラムでは調子よくても、フリーで順位を落としがちなのが気になるところです。

1 田中 総司  東北高校
2 岸本 一美  新松戸DOSCアカデミー
3 中庭 健介  福岡大学
4 高橋 大輔  倉敷FSC
5 牛込 剛   オリオンFSC

2000年12月25日

全岡山選手権

23日夜と24日朝は、全岡山フィギュアスケート選手権でした。
通販で買ったカナダ製コートの性能試験も兼ねて、国際スケートリンクへ行ってまいりました。
お目当てはもちろん高橋君。

着いた時にはすでに選手権クラスのSPが始まっていて、ちょうどこれから全日本9位の工藤祐子選手が滑るところでした。祐子ちゃん、手の表情がまた良くなって。これからも期待もてますね♪
そして続いて男子に移って大輔君。
ラメ入りマゼンダが強めの地に、黒系の謎の模様が入った上衣に黒パンだったかな(笑)。音楽はアラビアのロレンス。
最初のジャンプを失敗しましたが、他はほぼノーミス。3回転ジャンプをきちんと決めてます。いえ、前からちゃんと決めてる子なんだけどね。
もう一人の選手権男子は同じクラブの大上君。2年前にクーリックのほぼコスプレで滑っていた子でした。今回の大上君はサテン白系のフリル袖なブラウス。
この子の成長が著しいです。大輔君とともに(もしかして高校は別になるかもしれないけれど)岡山のフィギュア界を背負う選手になるでしょう。…というより、選手権男子はこの二人の中学生、大輔君と大上君だけだからすでに背負ってるも同じなのですけどね。高校生・大学生がしっかりしないから。…あっ、そういえば大安寺の黒田君の名前がなかったけど、どうしたんだろう…。

24日は朝8時過ぎからジュニア選手権クラスとシニア選手権クラスのフリー。
23日に見そびれたジュニア選手権クラスの女の子たちの演技がかなり見れました。残念だったのは、MDのディスク側の不調で音楽が流れずに、棄権となったあの子。本当に残念です。
工藤さんは練習の時からジャンプで転んでいましたが、本番でも2度ほど転倒していました…。フェンスにぶつかりそうになったり。ですがやはり手の表現が素敵なのですよね。転倒していたわりには高得点でした。
大上君は昨日の貴公子路線から一新して、サイケ風ジャンプスーツな衣装。彼、意地でもジャンプを跳んでやる!という意思が伝わってくるようなジャンプを何度も決めてきました。それにスピンがかなり上手なのよね、この子。
変わって大輔君が今日は貴公子路線。音楽が「ワルソー・コンチェルト」(聞けば分かる)でまず貴公子。衣装も身頃部分だけ裏布が付いた白のシースルーのブラウス。そして黒のズボン。長めのもみ上げをもう少し短くしてくれれば、貴公子でいける顔立ちなのに(贔屓目)。
大輔君、ジャンプが少々不安定で転倒もありました。リンクいっぱい使ったプログラムで、何度かフェンスに手を付いてしまうことも。最後のストレートラインステップではステップしたりなくてか首をひねったりしてました。
国際スケートリンクが小さ目のリンクなのが悪いのです。大輔君のホームリンクであるサンピア倉敷はたぶん普通サイズだろうし、大輔君は実際に海外の大きな大会にもよく行ってるから60m×30mの標準サイズに体が慣れているのよ。
そんなこんなで試合も終わり、とっとと帰ったのですが。


この文章はいずれ観戦記のほうへ移します。

2001年1月29日04:01

かいじきらめき国体

高橋大輔君、山梨県で開かれている「かいじきらめき国体」フィギュアスケート少年男子の部に初出場。
ショートプログラムを終えて、現在2位。
大安寺の黒田拓志君は今年が少年男子への最後の出場。ショートプログラムを終えて現在6位。
少年男子1位は東北高校・ジュニアのプリンス(笑/王ではなくて)の田中総司くんなんですよね〜。
ジュニアの大会でよく大輔君と競ってるboysが意外と成績振るわなかったりしてて、これは田中君と大輔君との一騎打ちになるでしょうか。
大輔君、フリーもがんばって〜☆

2001年1月29日20:34

速報!!

すごい!すごいよ大輔君!!
山梨県で開かれている「かいじきらめき国体」少年男子の部に初出場した、高橋大輔君、フリープログラムで1位を取り、総合1位です!!
やった、やったね!大輔君!!!
ジュニアチャンプの田中総司君(東北高校3年)を追い抜いての1位です!
大輔君、このところフリーの調子が良くなかったのでやや心配していたのですが、やったじゃん!!
大安寺の黒田拓志君も、フリーで4位になり、総合4位ですの!!
すごい!すごいよ!!大輔君&黒田君!!
来年の国体は黒田君が少年男子から抜けてしまうけど、またがんばってね、大輔君☆ 黒田君も成年男子でがんばってね☆
そして少年女子ショートプログラムでは、就実の工藤祐子選手が4位になりました☆ 明日のフリーもがんばってね♪♪

2001年1月30日

船岡君と大輔君

今朝7:28、もぁ〜と起きてまどろんでた。
30分になって、NHKローカルニュースが始まる。
おっ、船岡君っ♪というわけで姿勢を正して見る。
今日はすごく淡い藤色のシャツ〜と喜んでいると、トップニュースが「国体で初の優勝」。もちろん、大輔君のことです!!
しかもフリーの演技の映像付きでした☆
最初のジャンプでは失敗したけれど、そのあとに6つのジャンプをクリアに跳んで、表現点もかなりつき、フリーで1位となって総合1位となったと。
曲はワルソーコンチェルトで、黒のズボンに白のややフレアなシャツブラウス。
まさに貴公子予備軍です(微笑)。まだ中学生だから王子さまなのよ〜☆
ニュースを読む船岡君の声も、気のせいかうれしそうでした。
大輔君情報をよく教えてくれる方が仰るには、今日は受験だとか。もしかして岡山の私立を受けるつもりなのか??
お願いだから仙台か東京か大阪か、練習環境が整っているところの高校に行っておくれ(切望)。

2001年2月8日

ウル様のサインと大輔君と

…どうしよう。
国際オープンフィギュアのプログラムで募集してたウル様のサイン色紙が当たってしまった。
これ、本当にウル様のサイン?

ところで18:20ごろからNHKローカルニュース内のスポーツコーナーで、国体フィギュア優勝チームのインタビューがありました。
大輔君と黒田君です。
大安寺3年の黒田君、明治大学に進学が決まっているそうです。フィギュア推薦だね、きっと。
大輔君も、2月22〜24日にクロアチアのザグレブであるムラドスト杯に出場です。う〜ん、25日からブルガリアのソフィアである世界ジュニア選手権に出てほしかったけれど…。
だけど大輔君がんばって〜☆

2001年3月4日

制服姿だから名札付き

大輔君インタビュー、山陽新聞4日朝刊に載る。
噂の高校ですが、倉敷翠松高校に進学するそうです。
ココはもともとは女子校だったのが、1999年から共学化した高校。制服は男女ともブレザータイプ。
もちろんスケート部なんてないから、もしかしたら部員一人でスケート部を便宜的に作るか、または今までどおり倉敷FSC所属になるかのどちらかでしょう。
この高校、商業科や衛生看護科の他に普通科もあって、進学コースとか総合コースとかもあるようで、大輔君の場合は普通科総合コースが濃厚です。
5年後の冬季五輪を目指しているけれど、そのためには4回転ジャンプが出来ないといけないとか。
目標としている選手がヤグディンというのが意外でした。
今の大輔君の体格だと、ヤグディンの力強い表現力を見習いたいと言われても、見習ってもいいけどちょっと華奢すぎます。
しなやかな表現力…そうね、アプト、クーリック、突き詰めて十代の頃のウルマノフのような、繊細さの中にも力強さが見え隠れするような表現力を身につけてほしいです。

2001年4月1日

新たなる門出

最後といえば、30日、31日に見てきた中四国選手権大会。
鳥取と香川の男の子が一人ずつ今日で最後だったようで、クラブの女の子たちから花束をもらってました。
ジュニア選手権クラスと、選手権クラスだから、高校〜大学ぐらいの男なのかな。
なかなか上手いスケートをしていたのですが。
ですが、日本のこの社会事情では、強化対象選手でない限り、アマチュア選手で居続けることは難しいのです。
彼らも時間が許せば国体やマスターズに出場してくるでしょう。
フィギュアスケートは、どこからどこまでが趣味で、どこからどこまでが生活で、どこからどこまでが競技で、どこからどこまでが嗜みなのか、難しいところです。

そうそう、エントリーしていない大輔君はもちろん、エントリーしていた大上くんも不出場でした。
ちょっと寂しかったけど。
工藤祐子ちゃんはちょっと不調で転んだりしてましたが、平井絵巳ちゃんは絶好調でした。神保選手はビールマンができるのね〜☆

2001年4月14日

OHK杯に行く

OHK杯岡山小中学生フィギュアスケート競技会を観に行く。
目的はもちろん、高橋大輔君。そして、フィギュアスケート通信を通してお知り合いになって、メールでいろいろ情報を教えてくれるkojikojiさんとスケ連のF会長にお会いすること。

午後1時には家を出るつもりが、BS朝日でなかなか興味深い映画をしていて結局予定より30分遅れで出発。
さらに2号線バイパスに乗るつもりがそのまま児島線を走ってしまい、かなりのタイムロス。
バイパスから降りるのも少々早すぎて、下道を走ってタイムロス。
つくづく、自分の意志軟弱と地図うろ覚えの適当走行を呪いましたわ(苦笑)。
帰る時もバイパスに乗るつもりが旧国道2号線まで出ちゃったし(苦笑)。

1時間がかりでサンピア倉敷に着き、まずはkojikojiさんに見つけてもらい、挨拶や、「あの人は誰、この人が何某」などのご教授をいただく。
すごいのね、kojikojiさん(微笑)。
何がすごいって、ええ。大輔君にはkojikojiさんという大いなる支援者(?)がいるのがすごいです。

F会長にはkojikojiさんにあの人がそうと教えてもらい、一人になったところを狙って挨拶。
後でもう一人の女性と食堂に連れ込まれて、連盟の泥沼に入らないかと誘われる(笑)。同じ入るなら泥沼より清んだ泉のほうがいいわ(笑)☆
スケ連の応援ページを作ってみたいとは思っているけれど、そんなことは口に出してはまだ言えない。

フィギュアスケート通信の管理人さんは、自作のプログラムをパソコンに走らせ、その場で得点をメモってはパソコンに入力して、その場で順位票やマトリックスを持ち込みの小さいプリンタで印刷。
その速報に群がる小中学生の女の子たち無数。
すごいのね〜、Sさん☆

素の大輔君は、本当、どこにでもいそうなフツーの高校新1年生なんだけど、ひとたびスケート靴を履いてリンクに出れば!
今日は「ワルソーコンチェルト」で滑ったけど、なんだかいっぱい転んだような気が…(汗っ)。
お母さまが仰ってたけれど、知っている人ばかりの中で滑るのは、やっぱり滑りにくいもの。
いや〜、大輔君、逸材ですよ、うんうん。←感動を思い出して余韻にひたっている
大輔くんの周囲には、大輔君を応援する大勢の人々がいて、彼らのパワーはまさに「チーム・大輔」だと感じました。
これからもみんなで大輔君を応援していってください〜☆
亜鈴も微力ながら応援していきますわ〜☆

ところでOHK杯なんだけど、まるでNHK杯の隠語の○HK(マル・エイチ・ケイ)みたい…(笑)。


この文章はいずれ観戦記のほうへ移します。

2001年6月9日

インプリとピノキオ

インタープリティブ大会にユキエを連れて観に行く。
フィギュアスケートのインタープリティブ競技というのは、よくわかんないけれど、音楽をよく解釈してそれを表現する、そんなプログラム構成を重視したものらしい。
ジャンプをぽんぽん跳ぶよりは、情感豊かに滑るプログラムの方が断然有利らしい。
午前からしていたのに、全競技が終わる1時間前に行ったものだから、選手権クラスのフリーぐらいしか見れなかった(笑)。

女子の最終クラスは、4人中3人が白の衣装。そろいも揃って、まるでバレエか結婚式場かの世界。
祐子ちゃん、よかったなー☆ 最後のポーズをとるときにお尻ついちゃったけど、本当にきれいでした♪
絵巳ちゃんは、プログラムが少々普通の競技用プログラムすぎて。ジャンプは本当にクリアにきれいに跳んで下りてくるんだけどね♪

中高生男子の出場者が少なかったのは残念。
大輔君は東京出張だし〜♪
表彰式を見てみると、あごひげが豊かな選手がご出場されていたもよう。大学生なのか?社会人なのか? 滑ってるのを見てみたかったな〜☆
たぶん大学生の男子選手(たぶん一人だけ出場?)の衣装がちょっと好み。
黒のシャツとズボン、そして赤のギャルソンベスト。髪の毛も好みの刈り方で、そそられました(笑)。
ん〜、ベラルーシのダヴィドフクンっぽいのね♪

リカの大学出身のA君をまた見かける。タクシーが駐車場に停めてあると思ったら、やはりA君でした(笑)。仕事をサボって(苦笑)。

2001年6月14日

スケート★スケート

亜鈴のフィギュアスケートにまつわる歴史。

ずっと長い間「フィギュアスケートTV観戦ファン」で、その筋では有名なフィギュア同人誌も買うようになり、1999年1月に満を持して「スケートリンク観戦デビュー」。
1998年12月か1999年1月に国際スケートリンクでおこちゃまスケート大会を観たことあったっけ。
1999年1月のオープンフィギュアには、ウルマノフが来ると信じていたのにドタキャン。
1999年2月の長野五輪一周年記念ショーでは、念願の生ウルマノフ! プレゼントを渡す時に手も触っちゃいました★
1999年3月には、ウルマノフの世界選手権引退スケートを観にヘルシンキへツアーで行きました。
1999年12月には、ルシンダ・ルーを観たくて名古屋でのNHK杯にいきましたが、ルシンダは怪我のため欠場でした。でもヴィクトリア・ヴォルチコワがいました。
2000年1月には、国際オープンフィギュアへ行きました。プロとなったウルさまは今度はドタキャンせず、また、1999年末のプロフィギュアスケート選手権では初出場&初優勝というおめでたいウル様でした。
2001年1月には、再び国際オープンフィギュア。たとえ上位に入らなくてもウル様はウル様です。
2001年2月には、グランプリシリーズファイナルを見にまた東京へ。念願のセアラ・ヒューズを2年ぶりに生で観ることができました。


ただの覚え書きのようだが、このあたりで亜鈴は「幽霊●●」になったのだった。

   

 

最終更新◆ 2003年03月15日 17:46