お気楽管理人
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亜鈴久世 読み方「アレクセイ」
アルファベット表記「aleksei」
由来◆アレクセイ・ウルマノフが一番好きなスケーターなので♪
オフアイス ぐーたらお気楽趣味人生真最中。
フィギュアを見てるか、NHKを見てるか、はたまた…。
とりあえず、ユニオンジャック(英国旗)が大好き。
観戦歴

小中学生のころはTV観戦オンリーで、オリンピックとNHK杯を何となく見ていた。

1991年秋のNHK杯ではじめてソ連ウルマノフ18歳になったばかり)を知り、翌1992年2月のアルベールビル五輪でEUN(独立国家共同体)代表のウルマノフが4回転を着氷した時にはすでにとりこになっていた。1994年2月のリレハンメル五輪でロシア代表のウルマノフ二十歳で金メダルの時には!!!!

初めてのフィギュアスケート生観戦は1999年1月のオープンフィギュアだったような気がする。
ウルマノフが来日する予定と聞いて頑張ってチケットを取ったのだが、結局ドタキャン。
その後、大阪であった「長野冬季五輪1周年記念エキシビション」で初めて生のウルマノフ。感激のあまり、ウルマノフ現役最後の噂を受け、ヘルシンキ世界選手権観戦ツアーに参加することになった。

それからはオープンフィギュアやNHK杯、JGP長野大会、長野世界選手権、キャンデロロツアーウルマノフバースデイ公演、2005ボリショイオンアイスソウル公演、北京四大陸選手権、ドルトムント世界選手権、カンヌン四大陸選手権、日本選手EXショー、2006プリンスオンアイス豊橋公演、2007東京世界選手権、2008高陽四大陸選手権、2008イェーテボリ世界選手権、SOI、FOI、DOI、The Ice、DI、2005甲府国体、2009八戸国体、全日本、ブロック大会、岡山県内の小中学生大会、2009フィンランディアトロフィー、2010バンクーバー冬季五輪などなど、ウルマノフ関係と大輔君関係を重点的に、ほどほどに。

好きな
スケーター

そういうわけでアレクセイ・ウルマノフは是非とも押さえておきたいところ。
もちろん大輔君も好きです。

他に
マルグス・ヘルニッツ
(独特の雰囲気と、選手の中でも最もマメな観戦ぶりにやられた! エストニアスケート連盟の役員を務める傍らテクニカルスペシャリストを担当したり、2008世界選手権のテクニカルディリゲイター、2010タリン欧州選手権エストニア側代表など、引退後も大活躍!)
セルゲイ・ダヴィドフ(コーチとして再来日を〜☆彡)、
アンソニー・リュウ(笑顔とジャンプに夢中でした)、
スチュアート・ベッキンガム(豪州の海坊主。でもお気に入り。ペアに転向?さらに引退?)、
アンドレイ・ヴラシェンコ(ムーディーなところがたまりませんでしたが、アマ引退/涙)、
ヴィクトリア・ヴォルチコワ(コーチとして再来日を〜☆彡)、
シニード・ケア&ジョン・ケア(2007-08年のODに感動し、イェーテボリ世界選手権では念願の!)
クリストファー・ベルントソン(たまらんです…)

などなど。

全体的に欧州選手権に出場するような選手が好きだが、セアラ・ヒューズ(日本名:サラ・ヒューズ)はヘルシンキ世界選手権で知り合って以来、お気に入りの選手である。

好きな
プログラム

とりあえずウルマノフの全プログラムは押さえておきたい。
誰がなんと言おうと、ウルマノフ!!

大輔君の2001-2002のフリーのブルッフ作曲「ヴァイオリン協奏曲」は非常に好き。もう一度生で観てみたい。シニアバージョンでの再挑戦を希望したいが…。

セアラがソルトレイク五輪で滑ったフリーもとても好き。

チェンジャン・リーの「カンフー」とか、ディネフの2001-2002のフリーとか、雪&宏の「トゥーランドット」とか、しーちゃんの2001-2002の「トゥーランドット」とか、いろいろあります。
まあ、好きな曲が使われていたら、それがまた良プログラムで、曲の切り貼りが気にならない程度だと、すごく気に入ります。

シニード&ジョンの2007-2008シーズンのOD、スコティッシュダンスはとても大好き。
あの衣装、あの音楽でずっと見ていたい気がする。ODの時間では短すぎる!
2010トリノ世界選手権で再使用したけど、どうしてオリンピックで使わなかった!
もっと早く知っていたらトリノに無理やり行ったのに!

手拍子は周囲が叩きはじめるより早くからく、また長く、パーカッションや強拍に合わせたり、裏打ちや8ビートなど、大多数とは違う叩き方をするのがモットー。

技術点 実は技術的なことはほとんど分からない。
ジャンプの見分けができない。認識心理学的に致命的な欠落点があるので、右と左、インやアウト、トゥやエッジのそれぞれの組み合わせが分からなかったりする。よってジャンプの種類がほとんど判別てきない。
動体視力もないのか3回転と4回転の見分けもできない。
そういうわけで、観戦記のあたりが非常にしょぼい。
辛うじてスピンのいくつかの種類ぐらいについて名称と演技とが一致出来るくらい。
表現点

もともとが「クラシック音楽好き」からこの世界へ進出してきたようなものなので、音楽を変な風に切り貼りしているようなプログラムは非常に苦手。原曲ではありえないリピート(それが特に有名フレーズなら尚更)をされるとそこで意欲を削がれる。

切り貼り曲でも鈴木明子選手の2001-2002の「ロミオとジュリエット」は素晴らしかったな〜☆と、今でも何度も思い返す、お気に入りのプログラム。衣装といい、選曲といい繋ぎ方といい、顔の表情の変化といい。もしかしたら全選手で一番好きなプログラムかもしれない。

NHKの船岡アナがフィギュアスケートの放送に本格的に係わること。
あの艶やかななかにも凛々しさがある素敵な声で、適確な実況を聞きたい。
皆様にもぜひお聞かせしたい。
今まではNHK杯のハイビジョン放送での案内役(非実況)を2年務めたが、2004年12月10日、満を持してロシア大会ペア競技で、実況デビュー。ご一緒する解説は城田憲子氏。
2005年スケートアメリカのペアでは解説の樋口豊氏と組んでペア実況。
生実況はなかったが、2005NHK杯ではキスクラでインタビューをしたり、放送ブースの隣でハイビジョン向けの「ご案内」をしたり。
2006NHK杯ではアイスダンスの生実況を樋口豊氏と担当! おまけにNHK総合での放送冒頭のご挨拶は樋口氏と務めたりする。ハイビジョンでの男子フリー〜エキシビションまで「ご案内」も担当。
2007NHK杯は別室でハイビジョンの案内役をしていた船岡君は最終日だけは会場に現れ、男子シングルへのインタビュアー。そう、大ちゃんにキスクラでインタビューです!それも競技終了直後と、EXの大ちゃん出演直前の2回もです!
2008NHK杯ではペア実況。非番時に実況エリアで控えているとき、花束がカメラエリアに落ちてきたのを見つけた同じく控えのTアナに促されて花を拾ってリンクに投げ込んでいた!
2009NHK杯では会場では姿は確認できなかったが、一応ハイビジョンの案内役をしていた模様。スタジオは長野なのか名古屋なのか東京なのかは分からないが。
2010オリンピックでは、BS1の案内役の会期前半を担当。男子フリーが終わったあと、「もっと、もっと見ていたいですが…」と喋る船岡君の声は、感動を噛み締めているのか震えていた。
2010年夏、船岡君はついに東京に異動。スポーツ実況を多くしています!
そろそろ、大輔君を実況する船岡君か、大輔君にインタビューする船岡君を見てみたい。NHK杯人気コーナー『豊の部屋』アシスタントとして、船岡君と樋口先生とで大輔君を挟んでほしい…鳥海アナと樋口先生とのコンビも素敵なのですが。

それにしても2006年度からのグランプリシリーズはNHK杯以外の放送局がNHKではなくなったため、それだけ船岡アナの実況が減ってしまったのはかなり残念である。

高橋選手凱旋祝勝会での各局個別取材のとき、NHK岡山は「8年前の世界ジュニア優勝の後のインタビューですが」と船岡君によるインタビュー映像を見せていたが、その中で「4年後はイタリアのトリノでオリンピックがありますが」と言っていたが…4年前は見せていなかったんかい!

ユニオンジャックを競技会で心置きなく振って英国ゆかりの選手たちを応援すること。
→これは2008イェーテボリ世界選手権で夢以上のことが叶った。偶然にもKerr父母たち御一行と近所の席で、亜鈴持ち込みのユニオンジャック旗の多さにご両親も驚き、身に着けたユニオンジャックの数々を写真に撮られ…。セントアンドリュース旗にも念願のサインを獲得。
それでも夢は夢。これからも何度も英国ゆかりの選手たちを応援していきたい。

大輔君の復帰戦、2009フィンランディアトロフィーを観戦応援に行くと、前年アイスダンスチャンピオンのKerr組も出場していて、Kerr両親と感動の再会!Kerr姉も私を覚えていてくれた!
関係者席に座らずにKerr両親と英国チームは、亜鈴が毎日確保した席にお座りになったのでした。
そして一家で大ちゃんの復帰のSPを観戦! 夢が夢でなくなったかのようなひととき。
こんな夢のような出来事、忘れられません。

妄想
バンクーバーオリンピックに大輔君が出場し、NHKの船岡アナ(+小原アナ)がNHK派遣要員に加わり、船岡君がバンクーバーで男子シングルを実況したり大輔君をインタビューすること。
「8年前、世界ジュニアで優勝したとき、岡山でインタビューしましたよね。4年前の大阪のNHK杯でもインタビューしました。覚えていらっしゃいます?」
「え?あ?はい(^^ゞ」
「オリンピックで台の真ん中に乗るという、夢が叶いましたね(^^)」
「はい、ありがとうございますっ」
いや、これは妄想であってはならない。ぜひとも実現してほしい。

これは結局、バンクーバーオリンピックには出場したけど、船岡君はJCには選ばれなかった。でも日本のスタジオで船岡君は見守っていた。その時の熱い想いはNHKのプロフィールに載っている。
8年前の世界ジュニア後のインタビュー映像は4月の凱旋パレードの個別取材で見せられていた。
オリンピックの台の真ん中には乗らなかったが、世界選手権の台の真ん中には乗った。

新たなる妄想を築きたい。


ユニオンジャックを競技会で着て心置きなく英国ゆかりの選手たちを応援すること。
英国の選手が優勝して表彰式で「God Save the Queen」を歌うこと。

亜鈴久世はとりあえずこういう嗜好を持っているらしい。

最終更新: 10/10/02 Sat, 10:41